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福岡高等裁判所 昭和24年(ネ)319号 判決

控訴人(原告) 由布喜久雄

被控訴人(被告) 福岡県知事

一、主  文

原判決を取消す。

被控訴人が福岡縣山門郡城内村大字奧州町九番地田二反一畝十一歩、同所十番地田二反一畝二十二歩、同所十一番地田一反六畝、同所十二番地の一田一反五畝二十一歩、同所二十番地田二反二畝二十六歩、同所二十一番地田一反三畝四歩について、昭和二十四年四月二十八日公告によつて爲した買收処分は、これを取消す。

訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする。

二、控訴の趣旨

主文と同旨

三、事  実

当事者双方の事実上の陳述は、控訴人において「昭和二十年十一月二十三日現在において、主文表示の田六筆の本件農地が小作地であつた事実はこれを認める。」と述べ、被控訴代理人において「控訴人は本件につき当初農地買收処分の無効確認の訴として提起し、その訴訟の係属中、これを買收処分の取消を求める訴に変更したのである。しかしながら、請求の基礎に変更がなく、且つ訴訟手続を著しく遅滯させる場合に当らないとして訴の変更が許されるがためには、変更前の旧訴自体が訴訟的要件を具備した適法な訴であることが前提でなければならない。ところで、右無効確認の旧訴は、国を被告とすべきものを福岡縣知事たる被控訴人を被告としていて、被告の当事者適格の点につき訴訟的要件を欠き不適法であるから、訴の変更は許されるべきではない。仮りにこのような場合でも訴の変更が許されるものとすれば、当事者適格の点につき訴訟的要件を具備した行政事件訴訟として本件農地買收処分取消の訴が提起された時期は、訴変更の時と解さなければならないから、出訴期間内の出訴になるかどうかがここに問題となつてくる。また違法な農地買收計画に対する出訴期間を徒過し、爭い得なくなつた後において、買收令書の交付もしくはこれに代わるべき公告がその後にあつたことを理由に買收処分の取消を求め、この訴訟において、買收計画自体の違法性がさかのぼつて裁判の対象となるものとすれば、行政事件訴訟特例法第五條及び自作農創設特別措置法第四十七條の二の出訴期間の制限竝びに前者第二條の訴願前置主義に関する規定は、いずれも実益がなく空文に帰するであろう。けだし一旦出訴期間の経過によつて爭い得なくなつたものが、時間の経過によつて再び爭い得る状態に復活するということは、條理解釈においても法律効果の不遡及の原則からいつても、到底承認し得ないところである。なお当該農地委員会が控訴人所有の二反二畝十七歩の田をその自作地と認定して買收から除外したのは、買收基準日の昭和二十年十一月二十三日現在において、控訴人の家族がこれを耕作していた事実により、権利竝びに責任の帰属する経営の主体としての地位を控訴人に認めたまでのことであつて、右同日現在控訴人の住所がそこに在ると認定したためではない。

およそ住所の決定は、その本人の住所意思だけによるべきものではなく、むしろこれを裏付ける客観的事実の存在をこそ重視して爲すべきものである。ましてや農地の買收にあたつては、所有者の主観的な住所意思などは住所決定の重要な要素とはなり得ないのであつて、所有者本人の日常生活の中心、すなわち勤務地職業の場所あるいは配給関係等の客観的事実をこそ特に重視しなければならないのである。控訴人は職業的軍人として、終戰後も引続き軍務に從事したのであるから召集解除により初めて自由に帰郷を許される身分であり、從つて控訴人本人の住所意思がどうであつたにしても、召集解除後の帰郷の時において初めて郷里に住所をもつに至つたものと解するのが当然であろう。」と述べた外は、いずれも原判決書当該摘示事実と同一であるから、これをここに引用する。(立証省略)

四、理  由

福岡縣山門郡城内村農地委員会が昭和二十三年六月一日控訴人の所有にかかる主文表示の田六筆の本件農地について、自作農創設特別措置法第六條の五の規定により、「昭和二十年十一月二十三日現在と買收計画を定める時期とにおいて所有者の住所が異なる農地」として買收計画を定めた事実、控訴人が同月七日右買收計画について右村農地委員会に対し異議を申立て、同委員会において同月二十五日異議申立却下の決定をしたので、同年七月九日福岡縣農地委員会に訴願し、同委員会において同年八月二十五日訴願棄却の裁決をした事実、及び福岡縣知事たる被控訴人が本訴係属中、昭和二十四年四月二十八日附福岡縣公報に同日附同縣告示第二〇五号を以つて、本件農地の買收につき買收令書の交付に代わるべき公告を爲し、控訴人において右公告を同年五月三十日に知つた事実は、いずれも当事者間に爭がなく、控訴人がこれに対して提起(昭和二十四年三月五日)した訴は、右買收計画を定めた時期と同様昭和二十年十一月二十三日現在においても、本件農地の所在地である右城内村にその住所を有していたとの事項等を請求原因として、「被控訴人が本件農地について爲した買收処分の無効であることを確認する。」との請求の趣旨であつたが、前記買收令書の交付に代わるべき公告の爲されていることを知つた以後の昭和二十四年六月二十五日の原審口頭弁論期日において、控訴人は右公告の爲されている事実を請求原因に附加して、「被控訴人が本件農地について昭和二十四年四月二十八日公告によつて爲した買收処分は、これを取消す。」との請求の趣旨に変更している。

よつてまず訴の変更についての被控訴人の異議につき檢討する。

行政処分についての無効確認訴訟は、行政事件訴訟特例法第二條の取消訴訟と同様、行政処分の違法を攻撃してその無効の確定を求めるものであつて、その点においては性質上の区別とてなく、請求原因は一本で共通であるから、無効確認訴訟を取消訴訟に変更しても、請求の基礎に変更のないのはもとより、著しく訴訟手続を遅滯させるような事態は起らないのである。さすれば、控訴人の前記請求の変更は許されるべきものであるといわなければならない。

ところで、被控訴代理人は「訴の変更が許されるがためには、変更前の旧訴自体が訴訟的要件を具備した適法な訴であることが前提でなければならないのに、右無効確認の旧訴は、国を被告とすべきものを福岡縣知事たる被控訴人を被告としていて、被告の当事者適格の点において訴訟的要件を欠き不適法であるから、控訴人の右訴の変更は許されるべきではない。」というけれども、請求の変更が、請求の基礎に変更なく、且つ、著しく訴訟手続を遅滯させる場合に当らないとして許され、この許された変更請求すなわち新訴において訴訟要件に欠くるところがない以上、よしや変更前の旧訴において右要件に欠くるところがあつたとしても、それは請求の変更の許容によつて治癒したものといわなければならない。本件における変更後の前記取消訴訟が、処分廳たる福岡縣知事を被告とすべきものであることは、行政事件訴訟特例法第三條に規定するところであるばかりでなく、行政処分の無効確認訴訟と取消訴訟とは、前記のように行政処分の違法を攻撃してその無効の確定を求める点において性質上の区別がないのであるから無効確認訴訟においても原則として行政事件訴訟特例法の規定が類推適用されるものと解するのが相当であり、從つて変更前の前記無効確認訴訟が福岡縣知事を被告としていたことを目して、被告たる当事者適格を欠く不適法なものとはいえないであろう。被控訴代理人の前記所説は採用に値いしない。なお、以上の点に関連して被控訴代理人は出訴期間の問題に触れているが、行政処分の無効確認訴訟もその取消訴訟も、行政処分の違法を攻撃してその無効の確定を求める点においては、共通の性格を有し、その請求原因は一本であることは前記の通りであり、被控訴人が買收令書の交付に代わるべき公告を爲したのは本訴提起後のことであつて、本訴は右公告により爲された被控訴人の買收処分の取消を求めるものであるから、出訴期間内の提起かどうかということは、これをとりあげて問題とする余地はないのである。(被控訴代理人の見解によるとしても、控訴人が右公告を知つたのは昭和二十四年五月三十日であることは当事者間に爭がなく、訴の変更は同年六月二十日であるから、一箇月の出訴期間内の新訴の提起となる。)

つぎに本案、すなわち控訴人の住所が買收計画を定めた時期と同様買收基準日の昭和二十年十一月二十三日現在においても、本件農地の所在地である前記城内村に在つたかどうかについて判断する。

今次終戰の直後頃迄控訴人が鎌倉市大町二千三百五十六番地に家族と共に住所を置き、現役海軍法務科士官として海軍省に通勤していた事実、軍隊の解体により控訴人が早晩軍籍を離るるところから、本籍地の右城内村を生活の本拠としようとの方針を定め、そこに住所を定める意思を以つて、終戰後の昭和二十年八月下旬頃、右鎌倉市の住所を引き上げて家族を右城内村に帰郷させると共に、家財道具を同所に輸送し、自らは勤務の関係上帰郷できずに單身勤務地に留まり、一時的居住の場所として東京都新宿区新小川町四十三番地同潤会アパートの一室を借用してこれに移り住み、引続き海軍省に勤務して残務整理に当り、一方帰郷した控訴人の家族が城内村所在の控訴人所有家屋に居住し、控訴人所有の二反二畝十七歩の田(本件農地以外のもの)を耕作してきた事実、控訴人が昭和二十年十一月三十日予備役に編入され同日充員召集となり、越えて一月二十五日充員召集解除となつて同年二月十七日城内村に帰郷し、爾來家族と共に右家屋に居住し、右二反二畝十七歩の田を耕作して今日に至つている事実、及び本件農地が昭和二十年十一月二十三日現在において小作地であり、右二反二畝十七歩の田が同日現在控訴人の自作地として買收から除外された事実は、いずれも当事者間に爭がない。

しかして、一定の場所がある人の生活の本拠であるかどうかの客観的事実が、その人の住所がその場所に存するかどうかを決定するのであつて、その人がその場所に住所を置く意思を有するかどうかは住所の存否を決するについての独立的要素をなすものではない。もつとも住所意思を実現する客観的事実が形成されておる場合には、住所意思もまた生活の本拠を決定する標準の一つとして考慮にいれられるべきものである。特に農地の解放を指標とする農地の買收においては、住所が顕在的形態において定まつていることの必要が一般私法関係におけるよりもはるかに大であるから、住所意思を生活の本拠決定の標準にとりあげるについては、それを実現する客観的事実の形成を一層重視しなければならないであろう。この点に関する被控訴代理人の所説は相当である。しかしながら、住所意思を実現する客観的事実の形成はその時その所における外在的諸條件に支配されるものであることを看過してはならないのである。かくて右外在的諸條件がここに問題として浮かび上つてこなければならない。「日本国軍隊は完全に武裝を解除せられたる後、各自の家庭に復帰し、平和的且つ生産的の生活を営むの機会を得しめられるべし。」とのポツダム宣言の條項及び「茲に兵を解くに方り、一糸紊れざる統制の下整斎迅速なる復員を実施し、以つて皇軍有終の美を済すは朕の深く庶幾するところなり。」との昭和二十年八月二十五日陸海軍人に賜わつた勅諭の一節によつても明らかなように、今次終戰に当り、早晩日本国軍隊は解体し、軍人はその身分を失い、一般人としての困難な生活の設計を新しくもくろまなければならない必至の状況に在り、それ故にこそ、控訴人は家屋敷の外自作し得る田地もある郷里城内村を今後の生活の本拠とするの方針を定め、そこを住所とする意思を以つて、昭和二十年八月下旬頃從前の鎌倉市の住所を引き上げて家族を城内村に帰郷させると共に、家財道具を同所に輸送し、自らは勤務の関係上その時は帰郷できずに單身勤務地に留まることになつたけれど、遠からず軍籍を解かれて帰郷の上、家族と生活を共にするの機会に惠まれるものと期待し、それ迄の一時的居住の場所としてアパートの一室を借受けてこれに住み、一方帰郷した家族は、控訴人とは離れ住んでこそおれ、控訴人の権利と責任の下に、控訴人所有の家屋に住み、田を耕作して、控訴人の設計した生活に新しい首途を踏み出したのであつた。かように、終戰後の、軍隊の解体間近しとの外在的條件の下において、右解体に先だち家族を帰郷させ、家財道具をそこに送付し、家族をして郷里の所有家屋に住ませ、田地を耕作させた控訴人としては、召集解除ともなれば早急の帰郷を熱望するのは当然であり、事実召集解除後間もなく昭和二十一年二月十七日帰郷して家族と共に住み、共に耕作にも從事し、自ら設計した生活を運営するに至つたのであるから、昭和二十年八月下旬頃における家族の帰郷、家財道具の送付、在郷の所有家屋への居住在郷の所有田地に対する家族の耕作等の一連の前記事実は、控訴人の住所意思を実現する客観的事実の形成として可能の極限を示したものといえる。さすれば控訴人が右昭和二十年八月下旬頃決定し、且つ、右のような一連の客観的事実によつて裏付けされた住所意思は、控訴人の生活の本拠を定める標準として考慮されるに十分値いするものであるから、控訴人は右八月下旬頃本籍地の城内村に住所をもつに至つたものと解するのが相当である、だとすれば、控訴人の住所は、城内村農地委員会が買收計画を定めた昭和二十三年六月一日の時期におけると同様、昭和二十年十一月二十三日現在においても城内村に在つたといわなければならない。從つて右村農地委員会が本件農地につき、「昭和二十年十一月二十三日現在と買收計画を定める時期とにおいて所有者の住所が異なる農地」とし、右同日現在控訴人を不在地主として定めた買收計画は違法であり、右買收計画に基いて、被控訴人が昭和二十四年四月二十八日公告によつて爲した買收処分もまた違法であつて、到底右買收処分は取消をまぬかれないものと断ぜざるを得ない。ところが、被控訴代理人は「違法な農地買收計画に対する出訴期間を徒過し、その違法を爭い得なくなつた後において、買收令書の交付またはこれに代わるべき公告が後日あつたことを理由に買收処分の取消を求め、この訴訟において、買收計画自体の違法性がさかのぼつて裁判の対象となるものとすれば、出訴期間の制限竝びに訴願前置主義に関する当該規定は、いずれも実益がなく空文に帰するであろう。」というけれども、先行的処分である買收計画と後続的処分である買收とは一連全体の関係に在つて、これが結合して終局的な農地買收という一箇の法律効果が完成するものであるから、先行的処分である買收計画が出訴期間の経過等によつて爭い得ない状態になつた場合でも、なお、その違法を理由に、後続的処分である買收令書の交付またはこれに代わるべき公告による買收処分の違法を主張して、その取消を求めることができるものといわなければならない。

けだし、買收計画に対する出訴期間徒過の結果は、爾後買收計画としてはその取消を許さないというだけの効果を生ずるにとどまり、これによつて本來違法な買收計画が適法になるわけではなく、その違法性は後続の関係に在り、且つ、効果完成の役目を果たす知事の買收処分に流れ込んで來るのであり、また出訴期間の制限竝びに訴願前置主義に関する当該規定は、先行的処分に対する関係において実効性を有するからである。この点についての被控訴代理人の見解は異見に過ぎない。

よつて、城内村農地委員会の買收計画ひいては被控訴人の買收処分を違法であるとして、右買收処分の取消を求める控訴人の本訴請求は正当であつて、これと見解を異にし、これを棄却した原判決は不当であるから、民事訴訟法第三百八十六條第八十九條第九十六條を適用して主文のように判決する。

(裁判官 桑原国朝 藤井亮 森田直記)

原判決の主文および事実

主文

原告の請求はこれを棄却する

訴訟費用は原告の負担とする

事実

原告は請求の趣旨として被告が原告所有に係る別紙目録記載の農地に対し昭和二十四年四月二十八日公告に依つて爲した買收処分はこれを取消す。訴訟費用は被告の負担とするとの判決を求めその請求原因として、福岡縣山門郡城内村農地委員会は昭和二十三年六月一日原告所有に係る別紙目録記載の田に付自作農創設特別措置法第六條の五に規定する昭和二十年十一月二十三日現在と買收計画を定める時期とにおいて所有者の住所が異る農地として買收計画を立てた。然るにこれに先立つて原告は現役海軍法務科士官として服役し神奈川縣鎌倉市大町二三五六番地に住所を置き海軍省に通勤して居た者であるところ昭和二十年八月十五日終戰となつたので早晩軍籍を離れることを予測し肩書本籍地には原告所有の家屋敷と自作し得る二反二畝十七歩の田があるのでこれを耕作し將來の生活再建を図る爲同所を生活の本拠とする方針を定め同月下旬頃前記鎌倉の住所を撤去して家族を帰郷させると共に家財道具を送付してその意思を実現したのであるが、原告は勤務の関係上右本籍地に帰郷することは不可能であつたので余儀なく勤務地に留まり東京都新宿区新小川町四十三番地同潤会アパートの一室を借用し一時的居住の場所としてこれに移轉し引き続き海軍省に勤務して残務整理に当つて居た、その後同年十一月三十日原告は予備役に編入せられ同日充員召集となつたが勤務関係には変更がなく翌昭和二十一年一月二十五日充員召集解除となつたので同年二月十七日本籍地に帰郷し爾來家族と共に前記二反二畝十七歩の田を耕作して今日に至つて居る、從つて原告の住所は昭和二十年八月下旬頃本籍地に移轉していると解するのが相当であつて昭和二十年十一月二十三日現在と前記買收計画の立てられた時期とにおいて原告の住所には変更なく前記農地委員会の爲した原告の住所の認定は不当であるそれでこの不当の認定を基礎として同農地委員会が立てた本件農地の買收計画は違法であるところ被告は該買收計画に基き昭和二十四年四月二十八日附福岡縣公報に告示第二〇五号を以て本件農地の買收公告を爲したがこの被告の買收処分も亦從つて違法たるを免れない、而して原告は同年五月三十日右公告の事実を知つたので右買收処分の取消を求める爲本訴に及んだと陳べた。(立証省略)

被告指定代理人は本案前の弁論として原告が当初本件農地買收処分の無効確認を求めながら後に至つてこれが取消を求めるのは請求の変更にして許さるべきものではないと述べ本案に付原告の請求棄却の判決を求め、答弁として原告主張の事実は原告の住所についての見解乃至認定の点を除きその余の外形的事実は全部これを認める。原告は昭和二十年八月下旬頃以降その住所を本籍地たる福岡縣山門郡城内村に移轉していると主張するけれども原告の主張事実自体に徴し明かなように原告が永年に亘つて右城内村に在村せず昭和二十年十一月二十三日現在に於ても居住の事実がなく原告が当時現役海軍法務科士官であつた身分地位並びにその勤務の中心が東京都に在つた事実に鑑みるときは原告の住所が当時城内村に存在していたとは到底認められない、從つて当時不在地主である原告所有の本件農地につき立てられた買收計画に基く被告の本件買收処分には何等違法の廉はないと述べた。(立証省略)

理由

先づ訴変更の異議に付て考えるに原告が当初昭和二十三年七月二日附買收令書の交付に依つて爲された本件農地買收処分の無効確認を求め、後にこれを変更して昭和二十四年四月二十八日公告に依つて爲された右農地買收処分の取消を求めるに至つたことは当裁判所の明かに知るところであるが右旧訴と新訴とは等しく昭和二十年十一月二十三日当時原告は福岡縣山門郡城内村大字奧州町十三番地にその住所を有し所謂在村地主であつたに拘らず、原告を不在地主として立てられた本件農地の買收計画の違法なることを前提とするものであるからその請求の基礎に変更がなく且右請求の変更は著しく訴訟手続を遅延させるものとも認められないので被告の異議はその理由がない。

よつて本案に付て審究するに原告主張の外形的事実は被告の認めるところであつて、本件における唯一の爭点は、昭和二十年十一月二十三日当時、原告の住所が果して原告主張のように本件農地の所在地である福岡縣山門郡城内村にあつたか否かということである。この点につき原告は現役海軍法務科士官であつたところ、終戰となつたので早晩軍籍を離れることを予測し、本籍地たる右城内村に家屋敷を所有し、又自作し得る二反二畝十七歩の田があるところから、右家屋に居住して右田を耕作し以つて將來の生活再建を図る爲、同所を生活の本拠とする方針を定め、昭和二十年八月下旬神奈川縣鎌倉市における從來の住所を撤去して家族を帰郷させ且つ家財道具を送付してその意思を実現した。たゞ原告自身は現役士官として海軍省に勤務の関係上、帰郷することができなかつたので、余儀なく勤務地に留まり、東京都新宿区新小川町にある同潤会アパートの一室を借用し一時的居住の場所として、これに移轉し、引続き海軍省に勤務していたのであるという。而して原告が現役海軍法務科士官として服役し神奈川縣鎌倉市に居を構え海軍省に通勤していたところ、昭和二十年八月終戰となつたこと、それで同月下旬頃右鎌倉の住所を撤去して福岡縣山門郡城内村の本籍地に家族を帰郷させ、且つ家財道具も送付したこと、然し原告自身は東京都で同潤会アパートの一室を借用し、これに移轉して引続き海軍省に勤務していたこと、及び元來原告は右本籍地に家屋敷を有し又自作し得る二反二畝十七歩の田のあることは前記のように当事者間に爭のないところで、この爭のない事実に当時の社会事情乃至食糧事情を参酌して考えるときは、原告のいうように終戰となつたので原告が早晩軍籍を離れることを予測し、自己所有の家屋敷のあり、自作し得る二反歩余の田の存する本籍地の城内村を生活の本拠として、将來の生活再建を図る爲、從來の住所を撤去して家族を帰郷せしめると共に家財道具も送付した事情を看取するに難くない。然しながら原告自身はその自らいうように、現役士官として海軍省に勤務の関係上帰郷することができなかつたので、余儀なく勤務地に留まり前記のように東京都でアパートの一室を借用し、これに移轉して引き続き海軍省に勤務していたというのであるから、前記のような事情があるに拘らずなお本件農地の所有者たる原告の住所は当時東京都にあつて、本件農地の所在地である前記城内村には存しなかつたものといわねばならない。即ち原告は当時現役士官として海軍省に勤務の爲東京都に留つていたものであるから特別の事情のない限り勤務地を以つて原告の住所であつたと認めるべきであつて原告の家族が右城内村に居住し、原告も亦軈て軍籍を離れることを予測し、将來同所を生活の本拠とする意思を有しその爲家族を同所に帰郷せしめ、且家財道具も送付し置きたる事情があつても身苟くも現役士官として軍務に服する関係で、東京都に留つていたものである以上、かゝる事情の故を以つて右認定を覆し、原告の住所も亦前記城内村に存していたものと認める理由とはなし難く又原告が同村において当時より二反歩余の自作し得る田を有していたこと前記のように当事者間爭のないところであるが前認定のように当時原告の家族が同村に居住していてその後、後記認定のように原告も家族と共に同村に居住するに至り耕作しているもの(原告自ら耕作していることは当事者間爭なし)である以上これを原告の自作地と認められるのは当然であつて、このことからして小作地である本件農地(本件農地が小作地であることは弁論の全趣旨に徴し当事者間に爭がない)の関係においても原告が同村に住所を有する所謂在村地主であると認めるべき論拠とはならないのである。その他当時原告の住所が東京都に非ずして前記城内村に存したと見るべき特別の事情は存在しない。

然りとすれば、原告は昭和二十年十一月二十三日当時においては本件農地の所在地たる城内村にはその住所はなく、從つて本件農地については、所謂不在地主であつたというべきである。

なお住所が所有農地の所在地に存するか否かの問題は所有者本人のみについて判断せられなければならないものと解すべきであるから、原告の家族が当時右城内村に居住していたことは原告を不在地主なりとする右見解に何等の影響を及ぼすものではないと同時に又原告がその後同年十一月三十日予備役に編入せられ、同日充員召集となり、次で翌二十一年一月二十五日充員解除となつたので、同年二月十七日前記本籍地の城内村に帰郷し家族と共に生活するに至つたことは当事者間爭のないところであるけれどもこれ又これが爲原告が昭和二十年十一月二十三日現在において本件農地につき不在地主でわなかつたということにわならないこと論を俟たないところである。

以上の次第であるから城内村農地委員会が昭和二十三年六月一日本件農地につき「昭和二十年十一月二十三日現在と買收計画を定める時期とにおいて所有者の住所が異る農地」としてたてた本件買收計画には何等違法の廉はなく從つて同計画に基く被告の本件買收処分にも亦違法の点は存しないものというべく、よつて原告の本訴請求を理由なきものとして棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九條を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 野田三夫 丹生義孝 眞庭春夫)

(目録省略)

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